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【思い出話】細い裏路地をたどると、そこに八百屋があった。

エッセイ風

10月に引っ越しをした。

新居は以前に借りていた部屋よりだいぶ快適で、とても満足している。

でも、

もうあそこには行けないのか…

と、思うお店がいくつかあって、それは本当に寂しく思う。

 

以前住んでいた所は、一言で言うと「鄙(ひな)びた所」であった。

市街地からさほど離れていないのに、商店街らしい商店街もない。
こじんまりとした静かな田舎町といった風情だった。

12年前、そこへ引っ越してきた時は、少々戸惑った。

スーパーもあるにはあったが、これまたこじんまりとした店舗で、正直品揃えもイマイチに見えた。
他にあるのは、比較的新しい肉屋以外には、八百屋、魚屋、米屋など、どれも小さくて古びた店ばかり。

そもそも引っ越し自体がリーマンショックの煽りであり、完全に気分は都落ちだった。

こんな何もないような所で、買い物はどうすればいいのか…

と、思ったものだ。

なので初めの頃は、

「田舎の小さい店だから、品揃えも悪いし高いに違いない」

と、夫が少し離れたスーパーまで車で買い物に行き、店には冷やかしにも行かなかった。
(私はペーパードライバーなので運転しない)

 

が、ある日の夕方、必要な野菜を切らしていたため、初めて八百屋へ行ってみることにした。

裏路地を歩いて2分のご近所。

コミュ障の私は、小さい店が苦手である。

すぐに顔を覚えられて話し掛けられる――

そういう触れ合いが好きな人は好きだろうが、私はとても苦手なのだ。

だが40代(当時)にもなったのだから、苦手苦手とも言ってられん。
むしろまだ知り合いのいないうちに、こういう所から慣れていったほうがいい。

と、勇気を振り絞って店に入った(大げさ)。

店頭では初老の、見るからに優しそうなお父さん、といった感じのご主人が声掛けをしていた。

「ほうれん草どう?ほうれん草、買ってってー」

「いちごもどうー?まけちゃうよー。いちごいちご、どうですかー」

少し枯れた優し気な声は、押しつけがましさがなく、耳に心地よかった。

時は夕刻。

ご主人は私がカゴに入れた商品をひょいと手に取り、

「はいはい、これね、80円でいいや。はい、ありがとー」

と、持っていたマジックで値引きした値段を書いた。

それはひとつだけでなく、カゴに入れたものは次々と値引きしてくれる。

そのあまりにサクサクとした仕事ぶりに、「え、いいの??」と戸惑った。

ちなみに店がポイントカードを導入した時も、こちらの意向は聞かずサクサク作られた。

だが常連のおばちゃんなどは、

「これいくらになるの?」

と、始めから値段を聞いていた。

どうやら夕方の一定時刻になったら、値引きをすると決めているらしいのだ。

気前のいい値引きっぷりに気をよくした私は、足りないものが出たらまた行ってみようという気になった。

 

その八百屋は、メインは生鮮野菜だが乳製品や調味料、パンやお菓子やチルドもの、冷食、洗剤などがバランスよく置いてあった。

つまり本当に昔ながらの“やおや”で、選り好みをしなければだいたいの商品は買うことができた。

価格も野菜などはスーパーと大差なく、夕方に値引きしてくれることを思えばこちらの方が安い時もあった。

お店には厨房があり、手作りの総菜も置いてある。

私は夕方以外の時間帯にほとんど行かなかったのでよく知らないのだが、結構な種類が揃っていたようだ。

「まけちゃうよー」というご主人の声掛けにつられて、ある日、お赤飯を買ってみた。

プラのパックにずっしりと、二人前は入っていたそれは、びっくりするほどおいしかった。

ひとりじゃちょっと多いかな…などと思っていたが、しっとりもちもちとしたお赤飯にハシが止まらず、ぺろっと食べてしまった。

このお赤飯で、私の認識はガラリと改められた。

この八百屋…恐るべし!

ごたぶんに漏れず、お年寄りの多い地区である。

おそらく近所のお年寄りはみな、この八百屋を重宝しているに違いない。

お盆の時期など、お供え用の花があっという間に売り切れてしまうというのである。

お赤飯以外の総菜も飽きない味で、総じておいしい。
いろいろ値引きしてくれるから、ついこれも…というワナにはまってしまうのだった。

 

そして八百屋の隣には魚屋。

魚はさすがにお高く、私は2度行ったかどうかである。

お刺身などは頼むと切って作ってくれる。
「1人前」と言って頼むか、「いくらで」と言って頼むか。

どちらでもいいのだが、家計が苦しかった当時はとても気軽には頼めなかった。

だが、ここでも常連らしきおじさんが、

「○○○○円で刺身作ってくれ」

という注文をしていたので、馴染み客はたくさんいるのだろうと思われた。

 

さらにその近所には米屋。

スーパーと比べるとちょっとお高めだが、お米のアドバイスをしてくれるし、

「○○さーん、配達いつものお米でいい~?」

という声が聞こえてきたので、やはりお年寄りにはありがたいことだろう。

 

さらにさらに、これも近所の肉屋。

肉もスーパーと比べるとややお高いので、肉自体はあまり買わなかった。

が、ここでは揚げ物をよく買った。

カツやエビ、玉ねぎの串などのフライが10種類ほど並ぶ。
衣を付けた状態のものとすでに揚げたものの両方があるのだが、頼めば揚げたてを買うことができるのである。

のんべえの夫はそれをすっかり気に入り、つまみ兼おかずとして買うことがよくあった。

電話で頼んでおくこともできるし、「八百屋に行ってくるから」と言ってその間に揚げてもらうこともできた。

そしてここでも夕方サービス。
売れ残っているフライをおまけに入れてくれることがあった。

値段的にはどれも少しお高めだったが、揚げたてのうまさに勝るものはない。

家でフライを作る面倒くささを思えば、決して高くはないと思う。

 

これらの店を利用するようになって、私はこの地区自体の認識も改められた。

何しろ、コンビニ、銀行、郵便局、コインランドリー、最寄り駅と海水浴場までが徒歩10分圏内にあるのだ。

何もないどころか、主要なものはすべて揃っていた。

一人暮らしの男性なんかが住むにはピッタリではないだろうか?

揚げたてのフライに、家庭の味のお惣菜。
ちょっと贅沢したくなったら、新鮮なお刺身。
飲みたくなったらコンビニで、新発売の缶チューハイ。
洗濯はコインランドリーにおまかせ。
休日は静かな海岸をお散歩。

もう全部揃っちゃってる!
(私は利用しなかったが、クリーニング店や居酒屋もあるよ)

大きな店舗はないが市街地までの交通の便がよく、車でも電車でも大して時間はかからない。

鄙びているのは確かなので、ちょっと華やぎを味わいたいとか洒落たものを買いたいと思ったら、市街地まで出ればいいのだ。

でも小さい店には「余計なものを買わなくなる」という利点がある。

大きな店舗の大量の品揃えは、選択の自由があるばかりに、ついつい余分なものを買ってしまいがちだ。

節約したい人にはかえって、必要最低限の品揃えしかない店の方がいいように思う。

 

話が反れた。

12月のある日、八百屋に行ってみると、年越し用の天ぷらの予約を受け付けていた。

メニューは、エビ天と桜エビが入ったかき揚げのみ。

スーパーで買おうと思ったら200円以上はするエビ天が、なんと1本140円(税込み)だという。

以前、年末にスーパーで250円以上した「大エビ天」なるものが、鉛筆のように細くてガッカリしたことがある。

まあこの値段では大きさは全く期待できないが、とにかく安い。

ものは試しと、私もエビ天を4本頼んだ。

そして、大晦日の夜。

オーブンで温め直したエビ天を年越しそばに盛り、夫とふたりで食べた。

140円のエビ天は果たして、想像以上においしかった。

プリッとジューシーに揚がっていて、噛めばエビの旨味が染み出てくる。
エビ自体もおいしいが、揚げ方もうまいのだろう。
大きさも不満が出るほど小さくはない普通サイズ。

これが1本140円なんてお買い得すぎる!

来年の年末もまた頼もう。

そばを食べながら、私はそう思ったのだった。

 

新居に越してきた現在。

自転車なら遠くない地点にいくつか中規模スーパーがあり、買い物にはさほど困らない。

ベーカリーやおしゃれ雑貨店、以前は遠くて行けなかった図書館や書店が近いのもうれしい。

でももう、あのエビ天は食べられない…と思うと、とても寂しくなる。

夕方にお赤飯が残っていたら、値引きしてもらって買おう。
他にも何かお惣菜があったらそれで楽しちゃおうかな。

そう思いながら、つっかけで歩いて行った裏路地。

揚げたてのひとくちヒレカツが、柔らかくておいしくて大好きだった。
紙袋に入ったアツアツのフライからは、シアワセの香りがした…

 

地元の人しか行かないような、地元の小さなお店。

そこには地元民だったからこそ味わえる、小さなシアワセがたくさんあったんだなあ…と、今になって実感している。

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