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あんたは気が利かない

エッセイ風

我ながら気が利かない人間だと思う。

コンビニではあるが一応接客業をやっているにもかかわらず、機転が利かないし気の利いたことが言えるわけでもない。
マニュアル通りのことしかできないし、お客に対しては「さっと来てさっと帰るのが一番いい客」などと思っている。

思えば、子供のころから親には「あんたは気が利かない」と言われていた。

この「あんたは気が利かない」には「(女の子なのに)」が含まれている。
私の両親は戦後生まれのバリバリの昭和人なので、男の子は、女の子はこうあるべきという姿ががっちりと固まっていて、当然子育てにもそれが反映した。

が、私には当然というかそれに反発する気持ちがあった。
私には兄がおり、兄には言われないことを「女の子だから」という理由で言われるのが納得できなかった。

とまあ、ここまでは誰もが経験するようなことであると思うのだが、今回言いたいのはそういうことではない。

「あんたは気が利かない」…としょっちゅう言われていたわりに、じゃあどうふるまえば気が利いている人になれるのか、特に教えられた覚えがない気がするのだ。

子供のころの遠い記憶を思い起こしてみる。

1.回覧板を回す。
「こんばんは。回覧板お願いします」と言って隣の家に置いてくる。

2.お客さんが来た時にお茶をお出しする。
「こんにちは。お茶をどうぞ」と言ってお茶を置いてくる。

3.食事の時、塩など調味料を取ってあげる。
「取って」と言われたら回してあげるほか、いるかどうか尋ねると親切。

気が利いたふるまいに通じるしつけ、お手伝いとして思い出されるのはこんなもんである。
風呂を洗ったり、洗濯物をたたんだり、洗った茶碗を拭いて片付けるなどもするにはしたが、しなさいと言われるまではしない親不孝な子供だった。
お手伝いとは、やらないと親がうるさいから、怒られるから仕方なくやるものだった。

何を言いたいかというと、そこには「気が利いた人になるには、どうふるまえばいいかという教えなどなかった」ということである。

こういう言い方をすると「人のせいにして」と思われると思う。

でもそうだろうか?
「気が利いた人」って、自然に身につくものだろうか?
私はそうは思わない。
「気が利いた人」は社会人のビジネスマナーばりに、教えられなければなかなか体得できないと思う。

以前テレビで、某芸人が「相方に言いたいこと」を言う、という企画の中で

「感想を言ってくれない」

と言う場面があった。
言われた相方は、何それ??みたいな顔をしていたが、私には言ったほうの相方の気持ちがよくわかった。

人に何かもらった時などに何か一言感想を伝える。

「もらった時に礼を言う」のは当然のマナーとして皆教わっているだろうけれど、その後「もらったものについて一言感想を伝える」というのは、案外それと教わっていない人もいるのではないだろうか?

「もらったものについて一言感想を伝える」というのは別に、マナーというほどのものではない。
ただそうすると相手が喜ぶ、という程度のふるまいであると思う。

もちろんそれは、もらったものがおいしかった、好きなものだったという場合で、おいしくなかった、好みじゃなかったという時にそんなことまで馬鹿正直に伝えなくていい、という条件も含む。

人に何かを差し上げる方はいろいろ考えて差し上げているわけで、差し上げたものに対してどう思ったのか感想を聞きたいのだ。
特に何も感想がなければ「いまいちだったのかな(´・ω・`)」と消沈するが、「よかったよ」と言われればたぶん相手以上にうれしく思うものだろう。

何をあげても何をやっても感想がない…というのが毎度のように続けば、消沈状態もずっと続いてしまうわけで、そりゃーモヤモヤすっだろうと。

別にマナーじゃない。
ネガティブな感想は伝えなくていい。
でも「よかったよ」と伝えたら相手が喜ぶだろうことはしてあげる。

そういうのができる人を「気が利いている人」というんじゃなかろうか?
そして案外高度なそのふるまいを、誰からも教わらずに自然に体得できるもんだろうか?

「相手に失礼がないようにする」のがマナーなら、気が利いたふるまいは、一歩進んで「相手を喜ばせる」スキルとも言えまいか。
だから気が利いていない人がダメというより、気が利いている人がすばらしく、本当にちゃんとしたしつけや教育を受けた人なんだろうなあ…と思う。

そして特に教わった経験のない私は、日々の生活の中でいわゆる失敗と成功を繰り返して、少しずつそれを身につけてきたように思う。
が、そもそも人見知りで友達もおらず、積極的に人と交わるのも億劫なので、たぶんこれからも気が利かない人間であり続けるような気がする。

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