自分は将来孤独死するだろうなあ、と思うようになったのはいつ頃からだろうか。
私は年の差夫婦で子供もいない。
順番からすれば夫が先に逝き、兄のほかの兄弟もいない。
ひとり身になったら今度は若いのを探せば?などと冗談も言われたが、そんな甲斐性もない。
夫がいなくなって親兄弟もいなくなったら、本当にひとりだなあとつくづく思う。
私はベビーブームの時に生まれたので従妹は多い。
が、ひとりになったときに頼れるか、となったら現実問題としてそれは無理だろう。
みんなそれぞれに結婚し子供もいる。守るべき家庭がある。
糊口がしのげている内はひとりでも何とかなりそうだが、体を壊して働けなくなったりしたら即ホームレス、というのは決して他人事ではない。
もう何年も前に、女優の大原麗子さんが孤独死したというニュースが流れたときは衝撃だった。
あんな大女優が孤独死――
信じられなかった。
が、芸能界は孤独な稼業…というのは、わりとよく耳にする言葉だ。
華やかで多くの取り巻きはいるけれど、心を開けるような友人はいない。
むしろ食い物にしようとする輩が寄ってきて、人を信用できなくなる…
テンプレドラマじみてるけれど何となくそんなイメージがあり、芸能人が麻薬所持で逮捕などというニュースを聞くと「芸能界は孤独」というのもさもありなんと思う。
だとしても、だ。
だとしても、私よりは知人も友人も多かったであろう人ですら孤独死するとしたら、私なんて将来は孤独死確実じゃん!
はっきりそう思ったのは、たぶんその時だったと思う。
いやいや、現在はインターネットで誰もが繋がれる時代なんだから。
たとえリアルでそばにいなくても、孤独になるなんてことはないでしょ?と思うだろうか。
…そんなことはない。
むしろ、だからこそ孤独になる。
同意する人は案外多いのではなかろうか。
私もTwitterなどSNSをやっている。
これも社交性のある人は大いに繋がり人脈を広げることができる。
が、ない人には繋がりを広げることは正直難しいと思った。
つまり、リアルだろうがバーチャルだろうが同じなのだ。
そこへきて、SNSなんかだと他人の様子がよくわかってしまう。
真偽は定かじゃないのに、他人がキラキラ充実しているさまを目の当たりにすることができてしまう。
他の人が楽しそうにワイワイやっている輪の中に入っていけない。
見も知らぬ他人なのに、しょぼくれた自分と勝手に比較して勝手に孤独感を深める。
(私のことですよ笑)
こう書くと、むしろネットなんかやらない方がいいみたいに思えてくる。
まあ実際、やってもやらなくてもいいと感じる。
友達いないコミュ障な私からすると、過度な期待はしない方がいいよね、と思う。
交際ベタは現実でも仮想でもやっぱり交際ベタだ。
だから孤独死は「する」という前提でちゃんと考えておくべきだろう。
どこで死ぬとしても、後始末は誰かにやってもらわねばならないから、そのための費用ぐらい用意しておかないと。
現金を持ち歩かないとしたら、銀行の暗証番号やパスワードなど、何かしらの方法で他人にもわかるようにしておいた方がいいだろう。
持ち物が多いと処分するのが大変だ。
断捨離してなるべく少なくし、譲りたいものがあったら、これもわかるようにしておかなければ。
…にわかに「やることリスト」が増えてきて、なんだか忙しくなりそうだな?(笑)
死を考えるということは、生を考えることだとよく聞く。
私自身は、悔いなく死ぬことなんてできないと思っている。
半世紀を振り返ってみればもう、そこは後悔でいっぱい。
でも死ぬ間際に「悔いはあるけど、おおむねいい人生だった」と思うことができれば、それで十分だと思う。
ETV特集「孤独死を超えて」を見た。
孤独死というと身寄りのないお年寄りと思いがちだが、なんと50代、60代が増えているという。
高齢者だと民生委員の見守りがあったりするが、少し下の世代となると公的なセーフティーネットから漏れてしまうのだそうだ。
この年代はまだまだ働けるとみなされ、実際働けるが求人は乏しい。
性格ももはや固まっており、新しい人間関係を築くのが難しくなっている。
だから、働けなくなったり家族など身近な人との繋がりがなくなると、非常に孤立しやすくなる。
人はあっさり孤独になれるのだ。
…ということは、孤独がデフォルトと考えれば、みんな結構気が楽になるんじゃないだろうか。
路上飲みでバカ騒ぎしてる奴らも、実は孤独。
何万フォロワーがいるあの人も、実は孤独。
インスタでキラキラ写真をupしてるあの人も、実は孤独。
だからたまに誰かと会ったり、いいね!をもらったりすることがうれしい。
でもうれしいのはその時だけなのだ。
その瞬間だけ。
孤独な時間の方が長い。
自分は孤独だと思っても、それが普通なのだ。
それが普通で、みんなそう。
みんなが孤独だと思ってる。
だからもう、寂しいけど寂しくない。
孤独をいつの間にか
淋しがりやと かんちがいして
キザなセリフをならべたてる
そんな自分を見た
悲しい男と 悲しい女の
いつものひとりごと
それでも いつかは いつものように
慰めあっている吉田拓郎「イメージの詩」より
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