好きなアーティストの作品で、
「最近のやつはどうも…」
「昔の作品はすごくよかったのに…」
と思うことが立て続けにあった。
ひとりはミュージシャンで70年代ポップスの大御所。
70年代に発表した楽曲の数々は、初めて聴いた10代の頃から大好きで50代になった今でも大好きだ。
ふと、もう少し新しい楽曲を聴いてみたくなり視聴してみたが、どうもピンとこない。
同じ趣味の夫も視聴したが、やはり同じ意見だった。
もうひとりは漫画家。
この人もすでに漫画家歴30年以上のベテランで、いくつも作品を発表している。
が、最近の作品はやはりピンとこない。
ファンだから買っているが、すぐに手放してしまったものもある。
しかし昔の作品を読み返すと、今でも胸に迫るものがあるのだ。
もうひとりは小説家。
執筆年数も長く、たくさんのヒット作を生み出し、映像化された作品も多い。
が、夫によれば、やはり最近の作品はいまいちピンとこないそうだ。
この「昔の作品の方がよかった」現象は当初、視聴者側、読者側のとらえ方の問題かな?と思っていた。
初めて作品に出会ったのはどれも、多感な10代、20代の頃である。
私の大好きな『新吼えろペン』(島本和彦)の中に、
「漫画を読む力が衰えているようだな!」
というセリフが出てくる。
確かに、むさぼるように吸収していたあの頃とは、同じ感覚では接することができていまい…と思う。
若い頃は、買った漫画はその日のうちに読んでしまわなければ気が済まなかった。
でも今は、睡魔に負けて翌日以降になるのもしばしばだ。
明らかに「読む力が衰えている」と思わざるを得ない。
2~3年前、高校生の頃に途中までは読んでいたが、おしまいまで読んでいない漫画作品を全巻買って読んだことがある。
読む前の私は不安だった。
10代向けに描かれた漫画だし、年食った今読んでも面白く読めないかも…と。
1巻を読んで、懐かしさがあふれた。
と、同時にわくわくしながら読んでいるのに、自分でも驚いた。
なんだ、面白く読めるじゃん!
と思ったのもつかの間、未読の部分に突入した途端。
すうっと冷めていくのを感じた。
あのわくわく感はどこへやら…。
その後、心が盛り上がることなく最後まで読み切ってしまった。
10代向けに描かれた漫画を、アラフィフが面白く読むことができないのは当然かもしれない。
でも当時は面白く読んでいたのよ?
既読部分は、今だって面白く読んだのよ?
なのに…
それは私の読者としての「漫画を読む力」が衰えているのではないか?
半世紀も生きた今、あの頃の感受性のままでいるわけがない。
既読部分が面白かったのは「懐かしい」を「面白い」と勘違いしただけなのかも。
「当時面白いと思った感情を思い出しただけ」なのかも。
昔は本の小口(こぐち)が変色するほど何度も何度も読み返した…それは、
作品が面白かったからか?
読者である私の読書力が強かったからか?
ひとりウダウダと考える、そんなことがあった。
しかしここで、冒頭に戻る。
私の受け取り手としての能力が衰えている、だけではどうも説明がつかない。
そんな事例が多いような気がしてきたのだ。
受け取り手が年を取るように、送り手(創作者)も年を取る。
彼らはプロだ。
創作のための環境を整え、常に創作のための努力を惜しまないに違いない。
なのに、ややもすると「昔の作品の方がいい」などと思われる。
なぜなのか?
創作力とは、経験を積み、鍛錬を積み、熟成されていくものじゃないのか?
だが綺羅星のごとく現れる作品が、10代作家によるものだったりするのを見聞きすると、
創作には、経験やテクニック以外の何かが必要なのでは?
だとすると…(´・ω・`)ションボリだわ…
というようなツイートをしたところ、こんなリプをいただいた。
昔の作品の方が荒削りだけど勢いがあって面白かった、とかあるよね。
例えば、当時のスラップスティックなうる星やつらとか、今のけも先生では描けないのではないかとか…
経験を積んでなかったからこそ描けていたものって、あるんじゃないかな?— ふじもっち (@fujimotch) March 25, 2022
《経験を積んでいなかったからこそ》
これには目が覚めるような衝撃を受けた。
ああ……わかるー!!(涙)
無知だからこその一途さ。
透明で尖(とが)ったもの。
純粋さゆえに脆(もろ)いもの…。
年とともに、手放さざるを得なかったものたち。
これらが創作の糧、必要不可欠なスパイスとなるのだとしたら、どうしたって若年者には敵わないじゃないか…!!
それは若い他人だけではない。
若い頃の自分にすら、自分で敵わなくなるということだ。
プロの作家といえども年には勝てない、というのはどうしようもなくあることなのだろう。
昔の作品の方がいい、と安易には言えない。
昔の作品には昔の、今の作品には今のよさがある。
創作者が、その時その時で全力で創り上げたものであることには、変わりない。
だけど…だけれども。
持っていないが故に持っていたもの…気付いたときには失っているものを。
持っていたときには気付かなかったのに、失くしまうと残酷なまでに思い知らされてしまうなんて…。
「私はそんな この世のすべてを 憎む!」
「熱力学第二法則を憎む!!」
…というディスティ・ノヴァ教授の言葉を思い出す。
(『銃夢』(木城ゆきと)9巻)
しかしこれは、ある意味ヒントなのかもしれない。
創作者ではなくとも、日々、年を食った自分を嘆いたり若人をうらやんだりということはある。
毎日変わりばえがない、などというのはまさにそれだ。
今までの経験やテクニックがアダとなるのなら、反対方向へ行けばいいのではないか?
自分らしくないことをやってみる。
あえて面倒くさい方を選ぶ。
全部壊れるかもしれない。
新しい何かが生まれるかもしれない。
やってみたことのないことをやってみる。
若さとやらに対抗するには、それしかないように思う。
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